私は「怒り」の感情が好きではない。
怒っている人を見るのは恐いし、不快だ。
「怒る自分」も好きではない。
中学生のときからずっと「自分から湧き出てくる怒りの感情をどう昇華させるのがいいのか」ということを考えてきた。
言いかえれば流行りの「アンガーマネージメント」を自分なりに模索し続けてきた。
「怒らない心の広い人」になろうと無理をしていた。
ぜーんぶ〇や!と言っておきながら、怒る人✖怒らない人〇と決めつけていた。
私の長年の経験から「怒り」は「八つ当たり」と「嫉妬」から生まれるという結論に至った。
怒っている人を見ると「嫉妬で勝手に怒っているだけだな。だせぇな。」と思っていた。
自分が娘にイライラして怒ったときは「八つ当たりしちゃった。ごめん。」と心の中で反省し、自己嫌悪におちいっていた。
しかし、怒りをコントロールしようしようと思うほど、怒りがややこしくなり、怒る自分を責め、怒る人をバカにする自分にさらに疲れた。
「怒り」を否定し、抑えよう抑えようとし、「怒る人はダサい」と思えば思うほど、自分自身を否定することになった。
もうかれこれ20年以上このことについて悩んできたので、「私はどうあがいても器の大きい人間にはなれない」=「怒らない人間にはなれない」と気づいたので、ここらでいっちょ新たな考えかたを取り入れてみようと思う。
怒ることに〇をつけてみることにする
以前こんな記事の中で紹介した、心理カウンセラーのママ友に相談してみた。
彼女は以前から、怒ることは悪いことではないと言っていて、夫婦喧嘩もするけどその分お互いを理解できて仲良くなるし、子どもにも怒ることは悪いことではないと言っていた。
その話をママ友から聞く度に「私はやっぱり怒りは嫌いだな。怒りを肯定はできないな。」と思っていた。
しかし、何度もママ友と話しているうちに、「怒りという感情」を肯定して生きていかないと、「怒るちっぽけな自分」を肯定できないということに気づいた。
「喜怒哀楽」は人間の基本的な感情だ。
この中の「怒」だけをタブー視する必要はない。もちろん「哀」もだ。
怒ることはエネルギーがある証拠だし、だれにでも湧いてくる当たり前の感情だ。
だから私は「怒ることもオッケー」の人生にしようと思う。
「自分が怒ること」がオッケーなら「他人から怒られること」も「他人が怒ること」もオッケーだ。
私の人生のテーマは「自分の心に素直に生きる」ということだ。
自分自身に正直に生きることを一番大事にしているのに、怒りの感情だけは否定し続けてきた。だから解決せずに悩み続けてきたんだと思う。
だから自分の中の怒りの感情にも〇をつけることに挑戦してみる。(これから味わうだろう「哀」にも〇をつけていきたい)
勝手に怒る前に、深く相手を知る
そして「怒ること」を肯定すると同時に「他人と深く話すこと」に挑戦しようと思う。
自分の勝手な想像で怒ることはやめようと思う。
相手が何を考えているのかを、納得いくまで聞いてみようと思う。
いらっとすることがあれば、相手にその気持ちを伝えてみようとおもう。
勝手な想像で怒るんじゃなくて、ちゃんと相手の本意を聞いてから怒ろう。
怒るなら思い込みや想像じゃなく、相手の話を聞くというめんどくさいことをしてから、ちゃんと怒ろうと思う。
子どもに対しての怒り
子どもに対して怒ることにもずっと罪悪感があった。
なるべく怒らないように努力してきた。
私は娘に「自分の感情に正直に生きてほしい」と思っている。
それなのに怒りの感情だけを、否定し、感情に蓋をするようにしていた。
だから、娘も「怒ること✖、我慢すること〇」になってしまっている。
これからは、時には我慢することも大事だけど、怒ることにも〇をつけようと思う。
全ての感情に〇をつけてみようと思う。
娘に対して、怒りたくなれば素直に怒って、怒った自分に✖はつけない。
娘の要望をすべて聞かなくても、娘が遊んでと言ってきて「嫌だ」と否定しても、娘は私のことを嫌いにならないし、私は娘が大好きだ。
娘に対しても、もっともっと素直になろうと思う。
我慢をする母親より、素直な母親のほうが娘もきっと好きなはずだ。
いい母親になろうとせずに、嘘のない母親になることに挑戦しようと思う。
怒りを受け入れたら怒ることが逆に減りそう
今まで「怒り」に蓋をしようとしても「できないできない」とよけい怒りについて考える時間が増え、怒っている人をみては「嫉妬と八つ当たりだ、ダサい。。」とグチグチ考え、自分も他人も否定し、よけい疲れていた。
しかし、「怒り」も当たり前の感情だからOK!
怒る人もそりゃ人間だからいるだろう、OK!
だから「みんな喜怒哀楽のあるちっぽけな人間だ!みんなOK!」になりそうな気がしている。
怒りを受け入れると、怒ることが逆に減りそうな気がする。
いや、もうすでにかなり楽になったのが自分でわかる。
「心の広いひとをうらやむ気持ち」もなくなってきた。
20年くらい悩み続けてきたことが、だいぶ軽くなってきた。
しかし、「思考のクセ」はなかなか治らないので、今の気持ちを忘れないために、忘れたときに読み返すために記事にしてみた。
喜怒哀楽をみんな含めて、存分に味わっていく人生を送りたいと思う。