2児の母のちゃちゃこです。
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クソババアサロンのババアたちの名言を投稿してるよ。
この投稿に「親として失格じゃないですか?」というコメントをもらいました。
Instagramってめっちゃコメントきますね。メッセージもいろいろきます。
『母親失格じゃないですか?』とコメントがきました。
母親失格かもしれんけど、赤の他人に『母親失格じゃないですか?』と言える人のほうがこわいです。
クソリプにも慣れてきたんだけど、まだまだ心が反応しちゃうなぁ…— ちゃちゃこ@正直クソババアブロガー (@shinkontosa) 2019年1月27日
そして、このツイートにもたくさんコメントをくれました。

「母親失格」があるなら「母親合格」はあるのかね?
母親合格の人を知りたいですよ。母親審査委員会みたいのがあるんですかねぇ。
— sattie@無駄なパケットを垂れ流し中 (@sattie14) 2019年1月27日
母親審査委員会があったら審査してほしい。
どうすればいい子に育つのか、
いい親になれるのか教えてほしい。
でも、ないでしょ。
「いい子、いい母親っていったい何?」から考えなきゃいけないもんね。
「こんな母親になればいい」という教科書がないからつらいんだよ。
自分で考えなきゃ意味ないでしょ。
こどもと自分を見つめながら「いい母親とは?」と考え続けるのが親でしょ。
「母親合格」とは「完璧にすべてをやる母親」なのか?
1人目を産んでから「親としてやっておいたほうがいいと言われてること」はとりあえず一通りやった。
育児書などで言われてること、全部一通りやった。
めっちゃくちゃ疲れたよー!
精神病んだよ。
身を削ってやったよ。
寝不足でボロボロでもやったよ。
テレビもスマホも見せずに絵本読んだよ。
バランスの取れた食事作ったよ。
だけど、少しずつ気づいてきたの。
「こどもはそこまで求めてない。苦しくなってまで母親らしくしなくていいって。」
すべてをやることが母親ではない
『こどものために』ということは頭の中にいつもあるんだけど、考えれば考えるほど
・こどものために○○する
よりも
・こどものために○○しない
のほうが大事なんじゃないかと思うようになった
なんかうまくいえないけど— ちゃちゃこ@正直クソババアブロガー (@shinkontosa) 2019年1月27日
このツイートの意味わかりますか?
世の中にあふれている「親は〇〇すべき」ということぜーーーんぶやらなくていいと思うんだよね。
親はぜんぶやってたら、頭がおかしくなる。
こどもにとっても、その親の気持ちはかなり重い。
そして、それは「こどものため」じゃなくて「世間のため」にいつの間にかすり替わっちゃう。
こどもに依存した人生、こどもを監視する人生を私がおくることになる。
そんなの絶対にイヤだし、こどもが不幸になるのがわかる。
だからね、こどもに対する
・〇〇になってほしい
・漠然とした不安
・過度な心配
こういう気持ちをすこしずつ手放すことにした。
「何があってもこの子は大丈夫。自分で乗り越えていける」って思うようにした。
母親だから「母親像」に苦しめられなくていい
赤ちゃん産んだからって人格が変わるわけじゃない。
母親になったからって、個人としての感情がなくなるわけじゃない。
母親になったからって、やりたいことがなくなるわけじゃない。
ひとりの普通の人間。
こどもを産んだからには、お世話はするし、こどもを大事にはするよ。
とっても愛おしいし大好きだし大切だからね。
だけど、無理して空想の「母親」にならなくていいんだよ。
自分というのを大事にしながら「母親」でいていいんだよ。
「自分」を殺して「母親」にならなくていいよね。
赤の他人に「母親失格」と言われたって、こどもがどう思っているかはわからない。
こどもがいつか「母親合格」の称号をくれるかもしれない。
きっとこどもも「お母さんもひとりの人間だ」と気づくことがあると思うんだ。
「母親」って不思議な言葉だね。
いろんな呪縛がかかってて(笑)
母親合格かどうか、いつになったらわかるのかな。
自分が死ぬ頃にやっとわかるのかな。