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「私の理想のこどもになって」という思いは、子どもにとってめちゃくちゃ重いんじゃないかと思う。

2児の母38才、正直クソババアブロガーのちゃちゃこです。

現在、娘は6才で息子は1才半になりました。

母親歴は7年目になりましたが、日々「これでいいのかな?」と思いながら育児をしています。

ちゃちゃこ
子育てに正解ってないと思うから毎日悩む。

そういう日々の中で、親が子どもに対して「私の理想の子供になって」という思いは、子どもに対してめちゃくちゃ重いんじゃないかなと思ったので、記事にしてみます。

我が子と自分は全く別の人格

お腹の中で育てて、生まれてからもずーっと一緒にいる我が子。

我が子のことはなんでも知ってますよね。

 

でも!

 

子どもには子どもの『心』があります。

 

例えばあなたが「あれが嫌い」と思っても、子どもは「あれが大好き」なことはありますよね。

 

その子どもの気持ちを否定する親になりたいですか?

 

私はなりたくありません。

 

子どもの「心」は私とは別のことを感じているんですから。

 

子どもの「心」は親は絶対にコントロールできません。

味覚も経験も環境もなにもかもが、私とは全く違う、全く別の人間です。

 

私が嫌いな「何か」をすごーーーく好きになるかもしれません。

でも、そんな時も親の好みを押し付ける親にはなりたくありません。

 

「子どもの好きを邪魔しない親」になりたいと思っています。

ちゃちゃこ
私が嫌いなモノを好きになっても邪魔しないぞ!(多分ww)

子どもは親の思いを受け止めてしまうかわいくてかわいそうな生き物

子どもたちを見ていて思うんですが、親のことを「無条件に大好き」ですよね。

一緒に寝ないとさみしいし、困ったときに助けてくれるのはお父さんお母さんしかいないということをわかっています。

 

「こんな親でいいのかな?」とこちらが思ってることなんて、さらさら気づかずに大好きでいてくれます。

 

だから「親に好かれたい」と思う気持ちもあるんですよね。

日頃の接し方で親が「どんなことをしたら怒るのか」「どんなことをしたら好かれるのか」を察していく生き物なんですよね。

「いじらしすぎてこわいな」と感じることもあります。

 

でも、どれだけ口出しせずに育てたとしても、親の価値観が子どもにめちゃくちゃ影響しちゃうんですよ!

一緒に暮らしてますからね。

 

想像以上にいろーーーんな行動の基準が「親」になっちゃいます。

 

親元を離れていろんな人と接するにつれて「あ、あれは我が家だけの決まりだったんだ」とか気づくことありますよね。

子どもが「自分の家やりかたは、嫌だな変えたいな」と思ったときに、変えてくれればいいと思っています。

 

「親のやり方がすべて正しいわけじゃない」と思ってもらえればいいですね。

ちゃちゃこ
家での決まりはあまり作らずに、子どもが変えたいと気づいたときに、気楽に変えれるくらいのゆるさでいっかと思う。

人には反動がある

いろんな人を見ていて思うのは「押さえつけていたものに対して必ず反動がある」ということです。

 

厳しい親に育てられた人って、大人になって親の思いとは逆方向に進んでる人、多くないですか?

 

やりたいことを我慢させられていたら、大きくなってひとりでそのことができるようになった時に、しちゃうんですよね。

いや、しちゃうならまだましかもしれません。

 

人間の気持ちを、他人が抑えることは、結局できないんだと思います。

私は、子どもの気持ちを抑えれば抑えるほどあとで悪い方向に爆発するんじゃないかな?と思っています。

いい方向に爆発することもあるとも思いますけどね。

 

子どもであっても、他人の気持ちを、親が抑えらえるもんじゃない。

子育てして一番学んだことは「子どもであっても他人のことはコントロールできない」ということですね。

ちゃちゃこ
子どもが大人になったときのことを考えると、押さえつけるほうが私はよっぽどこわい。

大人になっても「親」の言葉が呪縛になる

子育てしていたら、すっかり忘れていた「『自分の親』の『自分』への接し方」をいーーーっぱい思い出しませんか?

 

「あんなことが嬉しかった」「あんなことが嫌だった」って自分の子どもへの接し方を考えたときに、びっくりするほど「自分の親」がでてきますよね。

 

子どもをもし産まなかったら、多分死ぬまで忘れていたようなことをたくさん思い出したように思います。

 

「親」は子どもに呪縛をかけることができるくらいの、すんごい影響力をもっていたんだなって子どもを産んでから気づきました。

 

せっかくなら、子どもが幸せになる言葉を呪縛にしたいと思っています。

 

私は親によく「信頼してるから」「かしこいね~」と言われて育ってきました。

私が何かやることに対して「親が口出し」してくることもなかったです。

 

私がやりたいといったら「いいよ」といい、やめたいといったら「いいよ」という親でした。

進路や仕事を決めるときにも、親がアドバイスしてくることもなかったです。

 

そんな私ですが20代のころ、こんなことを思いました。

 

すぐに仕事を辞めたくなる自分が嫌になって、親に対して「なぜもっと忍耐力がある子にしてくれなかったんだ!」「なんで就職するときになんのアドバイスもくれなかったんだ!」と思ったこともあります。

今思うと、急に親のせいにしはじめて笑っちゃいますよね。

 

でも今は、自分が好きなことを仕事にしているのは、忍耐力のなさが必要な力だったなと思うし、全部自分の責任で、失敗を経験してきたからここまでこれたんだなと思っています。

 

夫婦で会社を辞めた時も、なんにも言わずに「今の働き方なんだね」といっただけでした。

そのあとも「仕事はどう?」と聞いてくることもありません。

 

私の親は「子どもを監視する」ということを全くしてこない人です。

兄がふたりいるのですが、その子育て方法が合っていたか言われると、『合っていた』と言い切れないところがあります。

親と子どもの相性や、子どもがどんな人と出会うかということでも、結果は違ってきますね。

ちゃちゃこ
「この育て方が正解」って結局ないんだよな。

何をしても、してあげなくても親は文句を言われる

2年くらい前に、どこかからこんな言葉を聞いたことがあります。

 

「親は子どもに対して、何かをしてもしてあげなくても、結局子どもに文句を言われる」

 

それを聞いたときに「そうだよな!」と笑っちゃいました。

 

なんでも親のせいにしたくなるのが子どもです。そんな時期もありますよね。

 

そして、どうせなら「してあげなくて文句を言われる親」になりたいなと思いました。

 

それは私が「せっかく〇〇してあげたのに、、、」と子どもに言いたくないからです。

 

 

せっかく〇〇してあげたのに!という言葉は、子どもにとってとんでもなく迷惑な言葉なんじゃないかと思うからです。

 

 

無理してしてあげたことは、こんな風に言いたくなるかもしれませんね。

親が好きでしてあげたならいいんですけどね。

 

押しつけがましいことはしないでおこうと思っています。

ちゃちゃこ
してあげればしてあげるほど、結果を求める自分になりそうでこわいからやめとくわ!

親は子どもの人生の責任をとれない

結局、親であっても子どもの人生の責任はとれないんですよ。

 

ずーーっと側にいて守ってあげることはできませんし、守ってあげることが子どもの幸せとも思えません。

 

自分のことは自分で守るしかありません。

 

危険を察知する能力をつけてもらうには、「親が子どもの側で常に守ってあげること」が全てではないと思っています。

言葉では表しにくい能力が、生きていくうえで必要だと思うんですよね。

 

その能力をつけてもらうために、私は過保護はやめようと思っています。

 

めっちゃ不安なこともあるけど、子どもに「自分で自分を守る能力」をつけてもらうために、親は子どもに対する「不安」や「心配」を乗り越えていかなきゃいけないんですよね。

ちゃちゃこ
毎日、「こういう関わり方でいいのかな」と思うけど、子どもは案外丈夫でたくましいからその力を信じる!

自分で決めたことをしていく人生が幸せ

『親のいうことを聞いて、言う通りにしてきた人生を送ってきてめっちゃ幸せです!』っていう人いますか?

 

逆によく聞くのは『親が敷いたレールの上を生きる人生なんて嫌だ』じゃないですか?

 

よく聞くセリフなのに、我が子に当てはめると別のことと思っちゃうのが親ってバカですよね(笑)

 

他人にコントロールされる人生より

『「自分」で決めたことを「自分」で実行していく人生が幸せ』

なんですよ、これはもう絶対そうなんです。

 

誰かに言われたことをやってうまくいっても、それは「成功体験」にはなりませんからね。

誰かに言われたことをやってうまくいかなくても、それは「失敗体験」にはならないから、次に生かせない。

 

「自分で考えて決めて実行する」

 

幸せになるには、これは絶対に必要なことだと私は思っています。

親はこどもが幸せなら子どもがどんなことしていてもOK

親が一番望んでいるのは「子どもが幸せになること」ですよね。

 

もう極論、そこだけ思っていれば、親は特別なことはしなくて、口出し手出ししない「一番難しい『見守る』」をしていたらいいんですよね。

 

それは、「親」にとっての幸せじゃなくて「子ども」にとっての幸せなんですよ。

そこはすり替えちゃいけません。

「どんな子どもになってほしいか」じゃなくて「どんな親になりたいか」考えよう

子ども中心じゃなくて、親も『自分中心』に考えてみましょう。

 

「どんな子どもになってほしいか」を考えるよりも「どんな親になりたいか」をもっと考えませんか?

 

親の目の前にはいつも「子ども」がいますが、子どもの目の前にはいつも「親」がいるんですよ。

あなたが子どもをみているように、子どもは親を見ています。

 

どんな親になりたいですか?

「子どもの好きを邪魔しない親」

「子どもをコントロールしない親」

「〇〇してあげたのに、、と言わない親」

「自分で考えて行動する親」

「口出し手出しせずに見守れる親」

「子どもの本当の幸せを願える親」

 

こういう親になりたいです。

 

私は私の人生を生きて、幸せになります。

子どもは子どもの人生を生きて、勝手に幸せになってくれることを願っています。

ちゃちゃこ
子どもが自分の力で幸せになってくれるのが、私は一番うれしいよ!