はじめまして、正直クソババアブロガーちゃちゃこです。
1981年1月生まれ、みずがめ座、O型です。
「ちゃちゃこは何者なのか?」ということに興味をもっていただいてありがとうございます。
私はどんな人生を送ってきたのか、書いていきますね。
本当に興味あります?いやー、まあさらさらっと読み飛ばしてくださいね。
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家族のこと
私は「山口県出身の父親」と「鹿児島県出身の母親」の3番目の子どもとして生まれました。
私は薩長同盟によって誕生し、現在家族の中で私だけが高知県に住んでいます。私だけが高知に縁がありました。不思議ですね~。
そして、9歳と6歳離れた兄がいます。
私の父親は四国内だけ転勤をする公務員で、母親は専業主婦でした。
父親との関係
私が子供の頃の父親は、仕事のストレスのせいか、休みの日には一日中パチンコに行くか、家で寝ているかという感じで、遊んでもらった記憶はありません。
ただ、お風呂上りに髪を拭いてくれたとか、家に帰ってきたらくるりんぱさせてくれたりとか、たまに一緒に図書館に行くのが楽しみだった記憶はあります。
反抗期(中1)くらいから父親との仲が悪化し、成人してからもあまり仲はよくなかったですね。
その後、私の人生最大の転機である28歳の事件(あとで書きます)のときに、一番味方になってくれたのは父親でした。
そして結婚してからいろんな会話ができるようになり、今では気軽に話せる関係になりました。
私が会社をやめてブログで生活していっていると報告したときも「これからの時代の仕事やな」とすんなり理解してくれました。
5年前くらいに肝臓ガンになり、入退院を繰り返していますが、実家(現在香川県)にいくと「孫と遊ぶのが大好きな温厚なおじいちゃん」になっています。
私たちが帰るとぐったりと疲れて寝込むようですが、それでも「来て欲しい」と連絡があるので、2、3ヵ月に一回は会いにいっています。
娘としては、もう少し生きていてほしいと思っています。
母親との関係
元々看護師だった母親ですが、結婚を機に専業主婦になりました。
専業主婦といっても「ボランティア活動」のようなものが大好きで、いつもどこかに出かけて忙しそうにしていましたね。
今思うと「母親は母親で好きなことしてたなぁ」と思います。
人の面倒をみるのが大好きな性格で、家事はほぼひとりでしていました。親戚もいなかったので大変なことが多かったと思います。
基本的にはいつも明るく元気で、家事もそこそこなし、転勤族の妻として大変なこともあったけど、楽しんでいたように子供からは見えていました。
「哲学」が好きみたいで、若いころから「人生とは」とはよく考えていたようです。
子どもの進路に口出しすることはなく、「お母さんはバカだからわからんわぁ」とよく言っていたのを思い出します。
あんまりかしこくはない、世間知らずなところもありますが、「子供を信じる」ということは貫いていたなぁと思いますね。
父親が病気になってから、少し弱くなったかなぁと思うことがあります。自分のパートナーがいなくなるかもしれないという不安とずっと戦っているんでしょうね。
私自身が母親になってから、「心配事があるとよく寝れない」とか「勝手に妄想して心配しはじめるところ」とかが母親に似ているんだろうなと思うことが増えましたね。
子ども目線だととても強い人に見えてみましたが、そうでもないんだなっていうのがいい意味で理解できました。
実家に帰ると「あれ食べる?これ食べる?攻撃」をしてくるおばあちゃんです。
両親とも「バカ正直」な性格なので、よく今まで騙されずにいきてこれたなと思います。
比較的運のいい夫婦だと思います。
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私の幼少期
高校卒業までに4回転勤しました。
0~5歳 愛媛県今治市→松山市
5~8歳 高松市
8~14歳 徳島市
14~18歳 高知市
幼稚園の時は恥ずかしがり屋でしたね。目立ちたいけど前にでるタイプではなく、一歩後ろから、前に出れる人を羨ましいなぁと思っていました。先生や大人の言うことをよく聞いて観察していました。
「この人はどんな人なのか」を自分の中で整理していっていました。
小学校時代はグループ内を仕切りたいタイプでした。でも1番手にはなれないので、2番手くらいで仕切っていましたね。友達同士では意見をずけずけ言うようなタイプでした。
小学生の頃から、ふざけしたりはしゃぐのが好きでしたが、「大人の前でテンションをあげすぎると怒られる」と思っていたので、大人のいないところで遊ぶのが好きでした。
人一倍「〇〇したい!」というエネルギーはありました。だけど案外それに乗ってくれる友達がいなかったので、寂しい思いもしていました。
徳島時代
小学校3年生の時に高松から徳島に引っ越したのですが、運悪くイジワルな人が多かったです。誰かをいじめる、私もいじめられるということがありました。
「人の悪口で笑いをとる」という雰囲気だったので、今思えばとても疲れました。
中学校に入ってからはそんなピリピリした生活の中、お笑いにハマっていました。
徳島は大阪のテレビが見れたので、吉本興業の2丁目劇場の芸人さんが大好きでした。千原兄弟全盛期で、ジャリズムやLaLaLa、中川家、リミテッド、誉、サバンナなどなど、徳島から高速船にのって大阪まで見に行っていました。
中学校の中では、ちょっとかわいい子もいるお笑いが好きなグループにいました。かわいい子や勉強ができる子、面白い子、お金持ちの子をうらやましがっていました。その中で、自分が最下位にならないように頑張っていたけど苦しかったですね。
お笑いだけが唯一の楽しみで、基本的にこの時期は自分のコンプレックスが増大して「この世から消えたい」と思っていましたね。
中学校にいくときに憂鬱すぎて細い通学路をずーっと下を向いて歩いていっていたのを思い出します。
中学3年生の夏、「高知に引っ越しをする」という大きな転機がおきました。
高知時代
徳島の生活が結構しんどかったので、引っ越しするときいて「ラッキー!」と思いました。
そして、高知の中学校に転校したら、、、、めちゃくちゃ楽しかったです!
いじめとかないし、みんなのんびりしてるし、平和でしたね。
「なんでそんなに優しいの?」とよくみんなに聞いていました。
「優しいのって最高だなぁ」と感動していました。
高校は公立の普通科に進学しました。高校も楽しかったです。
その時は「音楽」にハマっていました。
真心ブラザーズ、サニーデイサービス、ホフディラン、ハイロウズ、フラワーカンパニーズなどの邦楽が大好きで、高知のライブハウスによく行っていました。
友達2人と交換日記をしていました。かなりのエネルギーを交換日記にぶつけていましたね。面白い先生のこと、好きな音楽のこと、好きな男子のこと、、、めちゃくちゃ濃い内容でした。今思うとブログの原点です。
恥ずかしがり屋で臆病だったので、男子と話すことはほとんどなかったですね。
女子だけではしゃいでいて、男子からはうざがられるタイプでした。
高校3年生の夏に、親が転勤になり、私だけ高知に残って一人暮らしをしました。高知市上町です。龍馬さんがうまれた町です。
近所に友達の家があったので、たまにご飯を食べさせてもらったりしました。
そして、ひとりで受験勉強に励んでいました。政経と倫理が好きでした。理数系はさっぱりでしたが「勉強ってこんなに楽しいんだなぁ」と気づいたのがこの時でした。
そして、東京の大学の社会学科に進学しました。
大学時代
いざ東京へ!といっても大した憧れはありませんでした。
高校時代に誰かのLIVEではじめて東京にいったのですが、息苦しくてたまらなかったので「自分に東京は向いてない」と薄々わかっていました。
東京といっても大学は四国のように山がある八王子市だったので、基本的には自然に囲まれて暮らしていたので、そこまで息苦しくはなかったです。
大学に入って新入生歓迎会でみた「マーチング」の部活にかなり魅かれ「いつも羨ましいと思う側だったけど、一度やっている人の気持ちを味わってみたい」と思って、130人くらいいる部活に思い切って入部しました。
楽器ではなく「カラーガード」という旗を持って踊る女の子だけのパートです。
「向いてない」とわかっていたのですが、実際「向いてなかった」ですね。だけど、ひたすら練習するとなんとか浮かないくらいにはなって楽しさも味わいました。
舞台に立ったり、アメリカの大会にいったり、華やかな世界を味わうことができました。
人にうらやましがられるようなことをしてみてわかったのは「やっている人が一番楽しい」ということです。見る人よりも当の本人が一番楽しいんですよね。
大学3年生の時には副部長になりました。私は自分の考えをはっきり言うタイプで、それを面白がってくれた先輩に一目置かれていました。
部活の執行部は男子ばかりで、まだ男子と話すことが苦手だったので少しとまどいましたが、だんだんと普通に話せるようになり、ずけずけ話せるようになり、かなりのバトルもしました。
お気づきでしょうが、私はかなり気の強い女です。
この時から「男って偉そうにしてる割にはたいしたことないんだな」とか「大きなことを人前で言う奴ほど、行動が伴ってない」とか、「本当にいい人ってちゃんと人の話を聞くんだな」といろんな男がいるということを知りました。
いろんな女がいることは今までの人生で知っていたんですけど、いろんな男がいるということをやっと知ることができました。
社会学もすごく楽しかったのですが、突き詰めるところまではいけませんでした。面白い授業を聞いて触発を受けて終わっていましたね。今でも社会学はすごく好きですし、その時に学んだ視点は自分の人生にかなり生かされています。
大学3年生の時にはじめて後輩(男子)に好かれました。嬉しかったですね。お付き合いはしませんでした。
部活を引退した大学4年生の時に留年していた1年上の人と付き合いました。芸人を目指していて、音楽の趣味も合いました。
中高時代の私の好きなものを共有できる人でした。
今思うと、ただの堕落したどうしようもない人でしたね。お金を貸したり、卒業のための論文をかわりにかいたりと典型的なダメ男でした。
就職したいところの第一希望は「NHK」でした。「NHK」の番組が凄く好きでした。「真剣10代しゃべり場」とか「ようこそ先輩」とか人にクローズアップした番組が好きでした。
エントリーシートは合格したのですが、面接で落ちました。そりゃそうですね、そんな実力は私にはありませんでした。
それから適当に就職活動をはじめましたが、精神的にしんどくなってきたのでやめて、バイトをしていました。
そして大学4年の2月にどうにかしようと思い、大学の就職課にいって紹介してもらった埼玉県の営業所で事務職をすることになりました。
長くなったので後半につづくにします。ちゃちゃこのプロフィール【後半】