ちゃちゃこのプロフィール【後半】

どうも、正直クソババアブロガーのちゃちゃこです。

プロフィールをリライトしました。前半はこちらです→ちゃちゃこのプロフィール【前半】

前半では家族のこと、幼少期から大学時代までを書きました。

後半では、大学4年の2月に大学の就職課でなんとか会社を紹介してもらい、埼玉県の営業所に勤めることになったところからです。

こんな感じで、社会人になっていからも転々としていました。

私の引越し歴(後半)

22~24歳 埼玉県
24~25歳 愛媛県松山市
25~27歳 香川県高松市
27~28歳 東京都品川区
28~36歳 高知県高知市
36~現在 高知県本山町

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埼玉県事務職時代

大学4年のとき、「高知が好きだから高知で就職したいな」と思い、東京での高知企業の説明会にいったんですが、「高知は給料が低いから、実家暮らしじゃないと生活できないよ」と言われて、「ああ、そうなのか」と諦めました。

両親はその頃まだ転勤族で、愛媛にいました。

あの頃無理やり高知に就職していたら、どうなっていたでしょうね。

この時「大好きな高知にいくことを諦めた経験」がのちに私を高知に向かわせます。

大学卒業間近になって「もう自分の望む仕事はできない」と自分の思考を停止して、「どこかに就職しなければ」と思いなんとなく入った会社。

営業の男性が6人くらい、事務のおばちゃんが1人、育休をとる人の代わりにとして私が入社しました。

私の仕事は請求書の発行、伝票の整理、経理の仕事でした。

育休を取る方がかなり丁寧に教えてくれたおかげで、3ヵ月ほど経つとすっかり慣れて、仕事に飽きてきました。

残業はせず、自分の仕事を淡々とこなし、おばちゃんとの雑談もそこそこ楽しんで、できない営業の人のお手伝いをし、イジワルな営業の人とバトルをしながら、なんとか暮らしていました。

事務職なので、毎月同じ仕事の繰り返し。できない営業の人の尻ぬぐい。

だんだん仕事が嫌になり、体調が悪い日が増え、腸閉塞で入院したこともありました。

「こんなはずじゃない」「ここにいてもどうしようとない」と思いはじめると、体も心も会社を拒否しはじめました。

「もう、今月末でやめます!」と言い切って、引き継ぎ書をつくってささーっと辞めました。

最後に営業の人に挨拶しているとある嘱託のおじいちゃんに「なんでも自分の思い通りにはならないよ」と言われました。

思い出すとじわーーーーっとイライラしてきますね。クソジジイめ!!!

1年2ヵ月ほど勤めました。今思うと1年も勤めたのか、もったいない時間だったな!

そして、当時実家があった愛媛にいきました。

この時が23歳。

愛媛の保育園

実家に帰ると、とりあえず失業保険をもらいながら、毎日寝ていましたね。完全に病んでいました。

親は特になにもいうわけでもなく、見守ってくれていました。

そんな生活を3ヵ月ほどしていたとき、親戚の子ども(5才くらいの女の子)と遊ぶ機会があり、やけに私に懐いてくれたんです。それがとても嬉しくて、それまで子供には全く興味がなかったのですが「子供って最高の癒しだな。」と感じました。

夕方3時から7時までの、保育園の補助の仕事の求人を職安でみつけてたので、やってみることにしました。

もうね、子どもが最高に可愛かったです。2歳児クラスでしたが、たくさん癒しをもらいました。

保育士の先生たちは、いい人もいれば怖い人もいました。私はひたすら子どもたちと楽しく遊んでました。

保育士になるのもいいなと思い、資格の勉強をはじめました。

保育園で働き始めて8か月くらいたった年度末、仕事は嫌ではなかったんですが、もっと働いて稼ぎたいと思い始めて、大学の事務職のパートに転職しました。

子どもたちに癒されたおかげで、日中働きたい欲がでてきたんですよね。「もっと仕事がしたいぞーー!」と思ったことをはっきりと覚えています。

「保育士の資格はとろう」と思い、勉強して受験もしましたが、結局とれずじまいで終わりました。

私は机に向かう勉強が本当に苦手です。勉強よりも実践したいタイプです。

大学事務職時代

大学では職員の出勤管理などの仕事をしていました。ここでは、上司や先輩にかなり可愛がってもらって、楽しかったです。

とにかく、スピードと正確さが大切で、「集中力を研ぎ澄ませてガーーーーっと仕事をするのが好き」ということを知ることができました。

この時「結局私は事務職が向いてるんだな」と思っちゃったんですよね。

今思うと、事務職が好きなんじゃなくて「集中力をつかった仕事をするのが好き」ということに最近気が付きました。

頭の中がフォーーーーーと集中力モードになるのがめっちゃ気持ちいいんです。ブログを集中して書いているときもこのモードになりますね。

この仕事も父親の転勤に伴い、1年4ヵ月ほどで辞めました。

ひとりで愛媛に住むほど、愛媛に執着心はありませんでした。大人なのに親の転勤についていくのってダサいですよね。

このときは25才でした。

香川県時代

香川では派遣会社に登録して事務職をしたり、大学の事務(育休代行)で働いたりしました。

私にとって「8時間勤務」がめちゃくちゃしんどかったです。私には「6時間勤務」が一番だなと思いました。

大学事務が暇すぎたので、accessというofficeソフトでシステムをつくっていました。これが楽しかったなぁ。

素人なので自分で本をかって、わからないところは情報課の人にわざわざ聞きにいって作りました。

やっぱり「何かをつくる」のが好きなんですよね。

何かができるときが一番ワクワクしますね。

東京パン屋時代

育休代行だったので契約が切れそうなときに6歳上の兄が「東京でパン屋をするから手伝ってほしい」と言われました。

これはかなり悩みましたね。自分に東京が合っていないことはわかっていたし、パン屋のレジなので今までやったことのないサービス業。

結局「やってみたい」という気持ちが大きくなり、東京へいきました。この時27歳。

パン屋がオープンする1ヵ月くらい前から準備を手伝い、他のパン屋へレジを習いにいったりして、お店がオープンしました。

パン屋がある場所は〇〇〇ネーゼのいる付近だったので、ザ・東京のお金持ちがたくさん来る場所でした。

最初は楽しかったですね。初めての経験ばかりでワクワクしていました。芸能人が来てくれたりしてテンションがあがったり、「美味しいよ」と言ってくれる人がいて、嬉しくなったり。

だけど兄は経営者として駆け出しで、自分の計算通りにパンが売れず、かなりイライラしていました。

そして、兄も私も勤務時間が12時間を超えていました。
代わりの人がいないので、トイレにももちろんご飯もゆっくり食べられません。

途中でひとり女の子の職人を雇ったのですが、大きなミスをしてしまい兄に怒鳴り散らされて辞めていきました。

あー、書いていて懐かしいです。

お店の駆け出しって本当に大変ですね。

私は兄に不信感がつのり、兄は毎日イライラし、最悪の関係になってしまいました。

そんなとき、テレビの取材が来ました。(もともと事前連絡があって)

兄がレジ付近で取材に答えているときに、私は裏口から逃げだし、タクシーに飛び乗って家に帰り、そのまま大阪の親戚の家に行きました。

あー、懐かしい。めちゃくちゃですね。

その後あーだこーだありましたが、パン屋を辞めて「全く白紙」の状態になりました。

その時ふっと「今何をしてもいいんだ!そうだ!大好きな高知に行こう!」と決意しました。
1人暮らしはもうしたくなかったので、高校時代の友達に「一緒に住もう!」と連絡し、OKをもらうことに成功しました。
あー、ほんとラッキーだな。

そして、大好きな高知県に引っ越しました!

このとき28歳。

この経験が自分の人生のなかで一番大きな出来事です。

・自分はなんでもできると思ってたけど、案外できないちっぽけな人間
・人生は自分の好きなことをしていい

大事なふたつのことを学びました。

兄のパン屋は私が逃げ出したときのテレビ取材から人気が爆発し、今も人気店として繁盛しています。よかったよかった。

高知県最高時代

高知市に引っ越してきてからは、もう楽しくて仕方なかったです。

空は広いし、人や優しいし、食べ物は美味しいし、、、「高知に引っ越してきてよかった!」と毎日噛み締めていました。

仕事は「研究職のパート」をしていました。6時間勤務です。最高ですね。

それから「彼氏がほしい!」と思い、いろんなところに顔を出し、旦那と出会い結婚しました。

友達との同居生活も1年ちょっとほどで解消しました。楽しかったのでもっと長くいたように感じます。

いやー、楽しいことしかなかったなぁ。友達と暮らすのは最高に楽しいですね、旦那が死んだらまたやりたいなぁ。

一緒に住んでいた友達は数年前に結婚し、高知市に暮らしています。

ブログに出会ってしまった

結婚後、暇だったので「なんかいい暇つぶしはないかな」と思い、ブログを始めました。

最初は、高知の空をスマホでとってアップする超適当な記事。その後、高知のいいところ好きなところを書くようになりました。

ブログをはじめてから、夫婦で高知県内のいろんなところへ行くことが増え、高知県のいいところをより深く知ることができました。

その後妊娠したので、妊婦ブログを書きましたが、産後はへとへとだったのでブログからは遠のいていきました。

娘が1才になったときに、仕事に復帰し、仕事・育児・家事のみの生活をしていました。

ブログを書く気力は全く残ってなかったですね。

あー、子育てしんどかったなぁ。。。

旦那が高知のお店やイベントを紹介するブログはじめてアクセスが伸びていました。

娘が3才になるころに、やっとゆとりがでてきたのでブログを再開しました。

ラインスタンプをつくったり、高知観光情報のサイトをつくったり、もうやりたいことが溢れてきていましたね。

ブログへの情熱が再燃し、イケハヤさんを知り、「ブログが一番楽しい」と気づいたのでブログで稼ぐことを決意し、今に至ります。(最後が適当になっちゃった!すまぬ!)

いままでの人生を振り返って、、、

自分で改めて振り返ってみると、自分はどんなことが苦手でどんなことが好きなのかがわかってきました。

・子どもの頃に「挑戦して失敗する経験」が足りない

・向いていないことは1年数か月で限界がくる

・何かをつくることが好き

・ルーチンワークが苦手

・常に変化するのが好き

・高知が大好き

・ブログは常に生産し続けることなので自分に向いている

転職しまくって、いろんな場所にいきまくって、やっとブログに出会ったので、私にはブログしかないので、やり続けます。

少し前までは、「自分には忍耐力がないからすぐに仕事をやめてしまう根性のない奴だ」と思っていたんですが、忍耐力がなかったおかげで、やっと自分で納得のいく仕事に巡り合えたと感じています。

人生は「自分がどんな人間なのか」を知っていくことが一番の醍醐味だと思うんですよね。

何が向いていて何が苦手なのかを知っていく中で、「どうやって生きるのが自分にとって心地いいのかを考えて行動すること」が「自分の人生を生きること」なんだと思います。

これからもずっと考え続けて、行動し続けて、死ぬまでそうやって生きていきたいです。

まだ「自分の知らない自分」が隠れていそうでワクワクしております。

こちら、正直クソババアブロガーちゃちゃこ、現在37歳よりお送りしました。

長々と、他人の人生を読んでくれてありがとう!!

前半はこちらです→ちゃちゃこのプロフィール【前半】