2018年7月高知県本山町豪雨体験「なぜ私たちは本山町から逃げたのか」

2018年6月末から7月初旬、西日本で数日間にわたって大雨が降りました。

各地で土砂崩れや川の氾濫がおき、甚大な被害が起こりました。

いや、まだ現在進行形で被害は起きています。

避難している人や行方不明の方もいます。

雨がずっと降っていた

本山町は6月26日頃から、ずっと雨が降っていました。

1週間以上、おひさまを見ない日が続いていました。

7月3日からは、さらに雨がひどくなりました。

高知ではよくある「バケツをひっくり返したような雨」がほんとうによく降りました。

「夜中に何度も大雨の音で起こされる日」が続いていました。

 

避難当日 7月6日 金曜日

その日もずっと雨が降っていました。

テレビでは、川の決壊や土砂災害が起きたというニュースが流れ続けていました。

「避難したい」と思った

その日の朝、娘を徒歩5分の保育園に送った帰り道、ふと「我が家はかなり低い位置に建っている」ということに気が付きました。

本山町は山に囲まれていて、私が住んでいるのは、役場付近の家が密集している場所です。

ちょうど1年前に引越してきたのですが、こんなに大雨が降り続いたのははじめてでした。

「浸水するかもしれない」と現実が迫ってきてはじめて、自分の家について客観的にみることができました。

 

7月6日金曜日 AM10:00

家が低い位置にあると気づいた私は、「今夜、この家で寝るのがどうしてもこわいから、夜ご飯を食べてお風呂に入ったら、近くの避難所に避難しよう。」と旦那に言いました。

この時は「絶対に何も起きないだろうから、ひと晩避難所で寝させてもらおう」という軽い気持ちでした。

旦那は避難所に行くことをはじめは渋っていましたが「これも経験だ。ブログ記事にすればいいよね。」と言い、納得しました。

旦那さんが役場に勤めている友人に避難所の情報を聞くと「避難しているのはまだ2人だけだ」と聞き、「2人くらいなら子連れでもそんなに気を使わずにいれそうだな。」と思いました。

さらに友人から避難所のことを聞くと「布団は多分ない」「避難指示になっていないから食べ物がない」ということを知りました。

避難所は車で2分、歩いて5分くらいの場所です。しかし、布団を持っていこうにも外は大雨。

「赤ちゃん連れで避難所に行くのはかなりストレスが溜まる可能性が高い」ことが、いざ避難しようと決めるとまじまじと見えてきました。

子連れ避難の問題点

避難するのは、5才の娘と0才10ヵ月の息子が一緒です。

0才の息子と避難すると困ること
・夜中に数回泣く
・夜中にハイハイ&寝返りで大移動をする
・離乳食中なので食べられるものが限られている
・なんでもすぐ口にいれるので見張ってないといけない

0才の息子と一緒に避難所にいると、「特に夜中が過ごしにくいだろう」と思いました。

5才の娘は、特に大きな問題はないと思いますが、こどもなので「すぐに思ったことを言う」でしょうね。

例えば「お腹すいた」「●●して遊びたい」「家に帰りたい」「YouTubeみたい」など。

こういったことを言われることも、親にとってはストレスです。

私たち自身は「WiFi環境がない」「避難している人との会話」が避難所でのストレスになるだろうと予想しました。

高知市に避難しようと思ったが、道がふさがれていた

7月6日金曜日 PM12:00

「家族で避難所はかなりストレスが溜まりそうだな。どうしよう」と考えながらテレビをみていると、翌日も1日中ひどい雨が降るということがわかりました。

家の近くの川も氾濫しそうなくらい水量が増えていました。

「夜だけの避難だから避難所でも大丈夫だろう」と思っていたけど、夜だけではすみそうにないので、「避難所以外に避難したほうがいいかもしれない」と考え始めました。

避難所以外に避難する場所として、旦那の実家が高知市にあるのですが、高知方面行の高速道路とメインの国道が通行止めになっていました。

高知市にいけない。。こんなことははじめてでした。

別のルートもあったのですが、移動中に土砂崩れが起こるかもしれないという不安な道でした。

「高知市にいけないのはきついね。やっぱり避難所だね。」と話していると、旦那が「高松にいく手もある。」と言いました。

香川県高松市は私の実家です。

高速道路は高知方面は通行止めになっているものの、奇跡的に、高松方面はまだ通行止めになっていませんでした。

私は「天才!その手があった!そうしよう!」と実家の母親に電話し、OKをもらい、保育園には「もう少しで迎えに行きます」と連絡をしました。

「もしかすると高松方面の高速道路もすぐにとまってしまうかもしれない」と思い、ものすごく焦りながら準備をしました。(金曜日夜には通行止めになりました)

高松へ避難するときの気持ち

7月6日金曜日 PM14:00

家族全員の着替え、息子のミルクグッズ、通帳、PC、届いたばかりに娘のランドセルを準備し、車に乗り込みました。

保育園に娘を迎えにいき、大豊ICに向かいました。

運転しながら「私は本山町から逃げるんだな。何も起こらないのが一番。だけど、自分の命は自分で守らないといけない。」となんとなくモヤモヤを抱えながら、車を走らせました。

4泊5日の避難でした

結局、高松には4泊5日の避難になりました。

大豊町の高速道路の橋が崩落し、上下線とも通行止めになりました。現在も(7月11日)まだ復旧のめどはたっていません。

通行止めの区間は下道を使って、本山町に帰ってきました。

本山町の総雨量は日本2位だった

なんと、今回の豪雨で本山町は日本で2番目の総雨量でした。

6月28日~7月9日の間に1694ミリも降ったそうです。

本山町は土砂崩れや床上、床下浸水があったものの、死者やけが人はでませんでした。

我が家の被害は床下浸水でした。土間には泥がたまっていましたね。

もし家にいたら、かなりの恐怖を感じていましたね。

「死ぬかもしれない」と本気で思ったことは間違いありません。

どうして高松に避難したのか

・私の経験上、かつてないほどの雨の降り方だった
・マンションではなく一軒家のため、家ごと流されるかもしれないという危険を感じた
・0歳児と一緒に避難所生活は無理だと思った
・高松方面の高速道路がまだとまっていなかった
・自分の命は自分で守ろうと思った

単純に説明すると「家にいるのがこわくなった」ので避難しました。

そして「ストレスをあまり感じなくていい場所」に避難しました。

私たちが避難するときに本山町には、まだ避難勧告がでていませんでしたが「自分たちの命は自分で守ろう」と思い、夫婦の判断で避難しました。

そして、夫婦そろって家にいたことで、最善の方法を選択できたと思っています。

「家にいるのがこわくなったら逃げる」
「なるべく外が明るいうちに逃げる」
「家からでれないくらいのおおごとになる前に逃げる」

この3つは今後も意識していこうと思います。

「避難所に逃げる」のが嫌なら「家族・親戚・友人の家」はもちろん「ホテル・旅館などに逃げる」のも選択肢のひとつとして頭の片隅においておくことも大事だと思います。

「逃げる場所がない」とは思わないほうがいいですね。

「命を守るためにはどんな手段があるのか」

「ない」と思わずに、知恵を働かせないといけないと思いました。

避難するときの心得

避難するとき時間のゆとりがあれば、大事なものはひとつでも多くもっていったほうがいいですね。

私たちはすぐに帰ってくるつもりでしたが、高速道路がとまったため、想像より帰ってくるのが遅くなりました。

「いつ帰れるかわからなくなる可能性が高い」ということは頭の片隅に置いて、荷物を準備したほうがいいですね。

娘に買ったばかりのランドセルを持っていってよかったです。

もし、持って逃げてなかったら、娘はずっとランドセルのことを考えてしまっていたと思います。

本山町が好きだから本山町を離れた

本山町に引越してちょうど1年が経ちました。

私たち夫婦は、本山町がすごく好きで「引越してきてよかったね」としょっちゅう話しています。

だから、「大雨や浸水の恐怖」をこれ以上感じたくはありませんでした。

この雨のせいで、本山町に来たことを後悔したくありませんでした。

「自分と家族の命を守るために最善の行動をすること」がこれからも本山町で住み続けるために必要だと感じました。

命がないと、住み続けることはできません。

高松から本山町に帰ってくるとき、「本山町」の看板が見えたときとても嬉しくなりました。

「帰ってこれてよかった」と思いました。

「みんなにまた会える」と思いました。

以上、初めて避難を経験した私の記録です。

忘れないようにここに留めておきます。

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