4歳までに人生の大切なことは学んだ。ちゅんすけ怒涛のプロフィール

ちゅんすけのプロフィール

どうも、ちゅんすけです。

36才にして仕事を辞め、ヨメと2人でブログ収益をメインで在宅ワーカーやってます。

「このブログを書いてるのはどんな奴だ?」と興味を持ってくれた人のために、ボクのことを書いておきますね。

母2回の離婚

ボクは1980年10月に、徳島県で生まれました。

ブログで高知について熱く語っているボクですが、実は徳島出身だったんですよ。
1980年生まれは、野球が好きな人には松坂世代と言えばピンと来るんじゃないでしょうか。

母から聞くと出産のときには、いろんなことが起こったようです。

母産気づくも、産婆さんが枚方菊人形展へ行っていて不在

助産師さんに対応してもらう

「私、○○教なんです。拝ませてください」助産師突然のカミングアウト。拝まれる

母「拝むのはやめてくれー」と思いながらもなんとか出産

生まれたのはいいものの、母の男運が悪かった!

生まれて7日で父親の暴力がひどくて、母はボクを連れて逃走、離婚。

それからボクの記憶があるのは、祖父母、叔父と過ごした幼少期。
母と一緒に過ごした記憶がないんですよね。

祖父母からしたら、母が頼りなかったんでしょう。
「お前にこの子を育てられないから、私たちが預かる」となって、ボクを祖父母が引き取った(どちらかと言えば奪った)というわけです。

今思えば、幼少期に『父親や母親がいるのが当たり前』という概念がなく、一般論がまったくあてにならない生活をしていたので、ボクは一般論に極端に違和感を持つ性格になったのかな?

ちなみに、ボクは実の父親に会ったこともないし、顔も知りません。
会いたいと思うこともないんですよね。
恨んでることもなければ、もちろん感謝もしていません。
特に会ってもメリットがないので、これからも関わることはないでしょう。

旦那は本当のお父さんのことを知らないが、なぜ会いたいと思わないのか聞いてみた。

2017.04.21

そして5歳の時に、母が再婚します。
再婚した先は農家で、義父、義祖父、2歳年上の義姉ができました。

ここでも母の男運のなさ発揮。

義父は癇癪持ち。
ちょっとしたことで暴れだすんですよ。
ブチ切れると、なぜが窓ガラスをこぶしで割る義父。
掃除しきれなかったガラス片を踏んで、何度痛い思いをしたことか・・・・・

母も耐えれなくなるときもあり、ボクを連れて家出しては戻るということを繰り返していました。

そして、ボクが10才の時に、練りに練った計画を実行して逃げ出すことに。
きっかけは、叔父の披露宴。
ボクと母だけが参加することになっていたので、義父から長時間2人だけで離れることができたんです。
義姉がいたため、なかなか母とボクが2人になる時間はないので、これはめったにないチャンス。

しかも、母は1人なら心細いけど、親戚軍団がいるので心強いということもあったのでしょう。

義父から披露宴会場に何度も電話がかかってきたりしたそうですが、なんとか無事に逃亡成功。
なんとなくの流れで、叔母がいる高知県に来ることになったというわけです。

義父は最後のあがきで、ボクを戸籍上から抜こうとはしませんでした。
戸籍が向こうに残っていてもなんとかなるので、ヨメと結婚するまではそのまま残してたんですよ。

ヨメと結婚する時、義父に籍を抜いてもらう承諾書のようなものを送付したんですが、承諾され籍を抜くことができました。

おもしろいことに、家系図でいうとボクが原点になるんですよね。
初代ですよ、初代。いい響きだ。

苗字も手続きをすれば変えることもできましたが、義父の苗字が気に入っていたのでそのまま名乗っています。

波があった中高時代

中学時代はとにかく脱力感に満ちていました。

なんかやる気がしなかったんですよね。
「頭が痛い」「気持ちが悪い」「おなかが痛い」なんて言っては、眠たくて学校をずる休みしてました。
1か月に7日しか、学校に行っていないこともあったなぁ。

その反動からか、高校時代は皆勤賞を達成。
部活も演劇部に入り、部長を2年間勤めました。

アニメが好きだったので、声優になりたかったんですよ。
その基礎を作るために、演劇部に入ったというわけです。

声優のオーディション受けたり、専門学校に入るなりすればよかったんですが、その時は行動力がなかったんですよね。

「声優の専門学校に入りたい」という意見は母に却下されたので、1浪して京都産業大学に入学しました。

日本橋にばかり行っていた大学時代

志があって大学に入ったわけではないので、単位を取るためだけに学生時代は過ごしていました。
授業をサボっては、試験前に講義内容が書かれたノートを買うという無駄なことをしてたなぁ。

興味がある講義内容もあったので、そういったものは未だに覚えているし役立つことも多いです。

サークルにも入らず、ゼミも入らなかったボクは、オタクの町である大阪の日本橋に週1で行っていました。
大学時代に初めてできた友達が、ゲームやアニメが好きだったので、授業終わっては1時間かけて大学から行ってたんですよ。

おかげでパソコンに関しては、ちょっとした技術を覚えたり、自作パソコンを組み立てれるくらいにはなりました。

疑問を抱えながらも就職、6ヶ月で退職

「なんかこんなのでいいのかな?」と思いながらも、大学を卒業して就職をしました。

初めての就職は、かっぱ寿司。

『先輩社員にストレスで顔面麻痺した人がいる』など、ブラックな内容を聞いてたりしたんですが、入ってみないとわからないと思って入社。

他の入りたかった企業からは振られ、入りたい会社探すのが面倒だったんで決めたということもあります。

入ってみていろんなことを思い知りました。

勤務時間が長い。
労働時間が基本14時間で、一番長いときは18時間なんてときも。

働いては寝るだけの生活です。
若かったので、少し飲みに行ったりすることもありましたが、年を取ってこの生活だとどうなったことか・・・・・

休みが偏りすぎ。
当時は当たり前とは思っていたんですが、繁忙期は休みがないんですよね。
お盆や夏休みとなると、戦力の主婦や大学生が休みを取るので、社員がもちろん出ずっぱり。

ボクは14日連勤した時点で限界になり、「作業中どこか少しでも寝れないか」と考え、テーブルを拭きながら寝ていました。

理不尽な客を相手しないといけない。
「ガリ(ガリの入れ物に)がいっぱい入ってたから、汁が服にこぼれたやないか!」と、目が血走った客に言われて、「なんだそれ」と思ったときには、この仕事向いてないなと感じました。

結局半年続けましたが、現時点で楽しくないし、数年後を考えても楽しくない人生だったのでやめることを決めました。

エリアマネージャーからは、「なぜ相談してくれなかった」「やめれば逃げ癖がつくぞ」なんてありがたい言葉をいただきましたが、どれもくそくらえ!

相談するほど、あなたのことを信頼してないんですよ。
相談したところで、なんの進展もなく、ダラダラ退職を引き伸ばされるだけ。
やめられると会社と自分が困るから言ってるだけなんですよ。

逃げ癖?大いに結構。
環境を変える勇気を持つことは大事ですよ。
向き不向きがあるのだから、変にしがみつくより自分で判断して、さっさと決断すべき。

同じエリアに配属された同期は、10人くらいいたんですが、ボクが辞める時には3人辞めていました。
うち1人は、朝起きて部屋を見てみると失踪していて、実家に帰っていたようです。
よっぽど嫌だったんですね。つぶれる前に逃げ出して正解。

ボクはかっぱ寿司で働き、半年で100万円の貯金ができたので、おかげで余裕をもって転職ができました。

次にボクが就職したのは、大阪でプレハブのリースをしている会社。
事務ということで面接を受けたんですが、「事務はもう決まったので・・・・・」と言われ営業職で入社しました。

自分でも「性格的に営業職は難しいな」と思いながらも、お金を稼ぐために藁にもすがる思いでした。
ここも半年やってみましたが、やっぱりダメでした。

飛び込み営業だったんですが、ボクからしたら飛び込み営業って迷惑でしかないんですよ。
仕事中に、売り込みに来た人を相手しないといけないなんて、邪魔だと思いません?

そういうことを考えすぎて、「あぁ、この時間は忙しそうだから、営業行っても迷惑だろうな」とかいろいろ考えてたら続くわけもありません。

答えが出せないまま続けているうちに、名古屋への転勤を命じられたことをきっかけに退職しました。

そのあとは実家にまだ帰る気になれなかったので、日本橋のジョーシンという電気屋でバイトを始めました。

家電に興味があったし、阪神タイガースのスポンサーだからという軽い理由で決めたんですよ。
正社員への登用制度もあったので、うまくいけば社員になれるかという魂胆でした。

2年半続けることができましたが、生きているハリがなくなってきたので、辞めて地元高知に帰ることにしました。

スポンサーリンク

最長の8年間勤めたものの・・・

実家に帰ったということもあり、少し気持ちに余裕ができたので、職業訓練をうけてみました。
販売士2級やエクセルやワードの資格を取り、職場体験に行ったアパレル系の会社に誘われて事務で入社。

が、試用期間が終わった時点で、辞める旨を伝えました。
アパレルはあまり興味がない分野だったし、社長の考え方と相性が悪かったんですよね。

それから事務職をメインに探し、半年後にやっと就職先が決まりました。

不満も少しありましたが、仕事は続けられ、結婚、出産と、このまま平穏に過ぎていくと思ってた7年目。

イケダハヤトさんのブログと出会ってしまったんです。

ちょうどイケハヤさんが高知に移住するというころで、「おお、こんな人が高知に来てくれるんや」と思ってたんです。

「イケハヤさんのブログ読んでみいや」とヨメに言われてんですが、ボクははじめ「影響されるから嫌」って冗談半分で拒否してたんです。

それが徐々にヨメが、「今日イケハヤさんのブログにこんなことが書いてあったんよ」と言われ、話のネタになるように・・・・・・

イケハヤさんは、ボクの頭のなかでもやもやしていることを、言葉にするのがほんとうまい。
いつの間にか、ボクはすっかりイケハヤさんにハマってしまったんですよ。

そうなると、会社に属して働くことに疑問を持つようになり、結局は仕事辞めちゃいました。

夫婦そろって在宅ワーカーです。

ヨメもパートで働いてて共働きだったんですが、ボクが仕事を辞めて3ヶ月後にヨメも退職しました。

貯金を切り崩しながら、今はブログの収益を中心に生計を立てています。

共働きのあたらしいスタイルとして、『夫婦で在宅ワーク』が広まればおもしろいよなぁ。
生活をできるくらいに収益を出して、先駆けになっていきたいですね。

会社に属して生きるのに適した人もいれば、何事にも属さない生き方に適した人もいる。

置かれた環境にしがみつき『自分はこの生き方しかできない』と思い込むのではなく、何か違和感を感じたらそれと向き合ってみましょう。
そこにはもっと人生をあなたらしくする可能性が秘められていますよ。

ちゃちゃこのプロフィール

2017.04.28